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 佐田岬要塞  しげーる  2006年9月17日(日) 13:10
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はじめまして、こんにちは
貴殿のHPを見て佐田岬要塞に行ってきたのですが
漁業施設の方に頼んでも大島には行かせてもらえませんでした。
穴倉の中に入ってみたかったのですが、非常にくやしいです!
あなた様はどうやって行かれたのでしょうか?

 はじめまして  マフラー巻き  2006年9月17日(日) 16:28 [修正]
書き込みありがとうございます。
私の時は普通に話し掛けたら気持ちよく行かせてくれました…。
漁協の人によりけりなんでしょうか?不思議です。

あの島は漁協の物ではないので、海岸から堤防を歩いてもいいかもしれませんね。
これなら文句言われる筋合いもないでしょうから。しかし残念でしたね。

私もまだ調べたい場所があるので、都合が会えばご一緒してもいいですよ。

   しげーる  2006年9月17日(日) 17:44 [修正]
そうですよね、島は誰の物でもありませんよね
ですが関係者以外立ち入り禁止のフェンスの中を通る以上
声をかけた方がいいのかと思い頼んだら駄目でした。
黙って通り過ぎたら行けたんでしょうかねぇ?
海岸から堤防沿いも考えましたが、それもフェンスの中に入らないと無理でした。

お誘いはありがたいのですが家が遠いのでなかなか行けません
お金も結構かかりますし・・・。

 これからもよろしくお願いします。  マフラー巻き  2006年9月17日(日) 21:01  HP [修正]
黙って通るのもありかもしれませんね。元々は漁協が許可無く立てたフェンスですから。

とはいえ、あまり物騒なこともできないので海岸沿いに歩いた方がいいかもしれません。
次回からは、私も無用なトラブルを避けるために迂回します。

迂回路ですが、実は要塞時代の通路(というか道)が灯台の辺りから伸びていまして、
これは知っている人しか分からないような道筋なんです。
そちらから行けばフェンスに関係なく御籠島まで到達できるんです。

第二砲台の方は行かれましたでしょうか?こちらも案内がないと見つけにくいのですが、
私が尋ねた地元の方は丁寧に場所を教えてくれた上、後世にその存在を残したいようでした。

遠くからお越しになったのに現地訪問できなかったのは辛いですね。
このような趣味の方は少ないと思いますので、これからも色々と教えてください。

   しげーる  2006年9月18日(月) 14:03 [修正]
なんと!灯台の辺りからそのような道もあったのですか。
自衛官さんがロープで降りた崖を途中まで降りて見ましたが
あれはちょっと降りれませんでした。
第二砲台迷いましたけど発見できました、私が行った時は小道の入り口に
確か「重要文化財 第二砲台跡」と書かれた杭が立ってました。

殉職者慰霊碑側が一部陥没してましたので行かれる時はお気をつけてください。

 成山・文庫隧道危機  α星  2006年9月8日(金) 23:50
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成山隧道を訪問しました。
メジャーで測ると長い所で約8m、短い場所は県庁の返答通り約7mでした。
すごく短く感じ、ヘタすると大きめの部屋より短く思われます。
高知側の内部にヒビがあり補強が必要と思います。
もしヒビの形線通りに崩落すると延長が縮む心配もありそうです。

月谷・樫山・有宮隧道は問題なく普通車で通過でき、有宮隧道の素堀は豪快でした。

文庫隧道も訪れたところ、03年9月に比べ警戒標識が増設され、
坑門の物も「大型車注意」などの標識が増えていました。
新たに心配なこともあり、「トンネル反対」以外にも住民が立てたと
思われる看板が増えており、「オープン化」「岬切除」などと物騒な事が
書かれた看板も見られ、このまま住民が新トンネルを反対すると
改良計画が変更され、もしかすると文庫隧道が消される心配がありそうです。
私の好きな隧道ですのでオープン化になっても文庫隧道は残されてほしいです。

文庫隧道は42年のリスト、04年のリストでも壁面は素堀となっていましたが痕跡がなく、
内部は鉄板巻きでこの中に「素堀?」が隠されている感じもします。
また、後年に内部が改修されている感じもします。

 近況、ありがとうございます!  マフラー巻き  2006年9月9日(土) 0:05  HP [修正]
成山隧道、やはり放置されているので崩落の危機があるようですね。荷瀧隧道に次ぐ短い隧道なので無事であって欲しいのですが・・・。内部が総コンクリ巻の隧道では日本一短い可能性もあります。

文庫隧道、なんとなんとオープン化が叫ばれていますか・・・。文庫の鼻は歴史的にも価値がある場所で史跡にもなっているのに、地元の方には全く考慮されていないのですね。。。利害が絡むので、地元民以外には分からない事情があるのでしょうが、せめてその姿は残しておいて欲しいものです。
素掘りも気になる情報ですよね。竣工時の姿が気になります。

   α星  2006年9月9日(土) 11:50 [修正]
成山隧道…高知側坑門は素堀の坑門、内部はコンクリ巻きですが、
徳島側は普通のコンクリ巻き隧道の坑門でした。
徳島側坑門には名額跡も確認できました。
訪れてみた感想は、延長が短く・隧道の上部の山も凄く低い物だったので
何故、この延長&この低さでトンネルにしたのか建設理由も気になります。

文庫隧道…56号のように交通量も多く合離も厳しいので改良は必要だと思います。
大滝隧道よりも規模が小さいので地元民が新トンネルを反対すると消される心配があります。
オープン化になっても近くの萩崎隧道の様に残してほしいです。
竣工時から覆道があれば覆道に名額を設置させるはずです、
隧道・覆道の繋ぎ目にあるため覆道は後付けと思いました。

設置時期は未調査ですが聞いた話では昭和の末期には
すでに覆道が付着していたそうです。素堀の謎はわかりませんでした。
覆道設置前の坑門の様子も気になります。素堀も覆道設置時に併せて改修された可能性もあり、
名額があったため元は宿毛・後隧道のような素堀コンクリ巻きだったと思います。

 初めまして。  白地峰  2006年7月13日(木) 3:02
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やぶおさまのサイトではお世話になっております。
モーター・サイクリストではなく、ただのチャリーダーであります。
独身時代は往復フェリー泊で四国ツーリングを楽しんだものです。

画像は、甲浦から高松まで国道193号を制覇した時の画像です。
もちろん、1日で走り抜けます。
この場所は、国道193と195が重なり合っている部分ですね。

 木頭村  マフラー巻き  2006年7月13日(木) 20:30 [修正]
書き込みありがとうございます。写真の場所は国道193号線の平谷トンネル前ですね。
自転車なのに一日で193を駆け抜けるとは、素晴らしい体力です!
私なんてバイクでもひぃひぃ言いそうです・・・。
439よりも酷道だった193も、だんだんと改良が進んできました。

いつの日か195のように綺麗な路線になってしまうと思うとちょっと寂しい思いがします。

 旧真弓トンネル  白地峰  2006年7月14日(金) 3:06 [修正]
マフラー巻きさま、レス有難うございます。
四国の道路は架橋開通前後から急速に整備されましたね。
R193も整備がすすんでいるのですか・・。
私が走破した平成6年は、吉野川以南は殆ど1車線だったと記憶しております。
R195も徳島から高知まで走破しましたが、こちらも全線整備されたのですね。

さて、画像は旧真弓トンネルです。
真弓トンネル付近は、地図上でとても気になっていた峠の一つでした。
松山から三坂峠を越えて真弓峠から小田町へ、さらに小さな峠を越えてR197から大洲・長浜を経て松山へ戻りました。
真弓峠越えと旧河辺村の「屋根付橋」見学が一番の目的でありました。

 白地峰様、はじめまして  学生服のヤマダ  2006年8月4日(金) 2:57 [修正]
195号線つながり・・・という事で
おおっ
西宇隧道って現役だったのね!
・・・
すみません。
15年前の住宅地図でした^^
でも、この表記・・・ちょっとかっこいいかも。
(もう1枚も図書館の資料から・・・
もちろん今はございませんです^^)

大滝隧道
平成4年に台帳から削除されてるとのことですね。
実は私が免許取った年(平成3年)の秋に
物部の小学校まで用事で出掛けた時
写真にあります盛土の方を迂回した記憶があります。
もちろんトンネルの痕跡など見た記憶もなく
ただの災害工事としか思っておりませんでしたが
確かに小高い所に誘導されて通った記憶は間違いないので
時期的に見てもその時削除されてたのかもしれませんね。
なにはともあれ
AVR−零さん。
大比隧道の写真ともども
貴重なお写真どうもありがとうございました。


また最近、マフ氏の猪ノ峠関連で検索して辿りついた下記のページ。
徳島という事もありちょっと興味深くなって
思わず読み入ってしまったりします。
ttp://park17.wakwak.com/~happyend/kojiki/awa/awa_01.html〜
これを読むと県の北と南に同じ「猪ノ鼻」があるのも頷けるかも。
・・・恥ずかしい話
あまりこの国造りの話には知識がないもので
思わず「イザナギイザナミ?天照大御神?」といちいち調べながら
読んでいたので全部読むのに1週間もかかってしまってたりします^^
地名の件は多少無理があるかな〜とも思えますが
祀る神の話を合わせると、なるほどと思えるところもあるかな?
そんなこんなで、読み進んでいくと
第27話にとあるトンネルが・・・。
もし、この話のつじつまが合うようなら
taiheiさんに提供頂いてます
「平成16年日本全国トンネルリスト」にある
「6101 ヨミサカトンネル」は
このトンネルであっているんでしょうね。
ってことはこの道自体、それだけ歴史があるって事??
そんな繋がりがちょっとうれしかったりもします。
とりあえず、また近くに寄った時に
「千引きの岩」なるものも見てこようと思います。

 四方見坂  マフラー巻き  2006年8月4日(金) 15:56 [修正]
さすがヤマダさん、面白いページを見つけていらっしゃる。
四方見坂トンネルが神話につながる可能性があるとは・・・。
それと、地元の方はヨミ坂と発音するのですね。
これは面白いので文中に少しだけ載せさせて頂きます。

大比・大滝、写真が変更されているのに気が付くとはやりますな!
ゲリラ的に変更していたのですが見て頂いてありがとうございます。

 学生服のヤマダ様、初めまして。  白地峰  2006年9月3日(日) 3:41 [修正]
挨拶が遅れましたが宜しくお願いいたします。
祖先は、四国は愛媛、川之江であります。

さて、先日、牟岐から野根、折り返し宍喰を少し走ってきました。
もちろん、チャリです。(今回はミニチャリです。)
一気に涼しくなった一日でもあり、さわやかな海岸線を堪能できました。
画像は阿波・土佐の国境付近の水床トンネルです。
四国は遍路さんへの配慮か、トンネル内でも歩道が良く整備されていると感じます。
この水床トンネルも、トンネル内の歩道はセンサー感知式で明かりを灯すようになっていました。

 旧愛媛県道47号隧道群  ナキイルカ  2006年8月14日(月) 22:30
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旧愛媛県道47号隧道現状(2006年8月中旬)の様子です。

・殿小屋隧道
新居浜市側にあった広場に土砂がてんこ盛りにされてしまい、
四輪での侵入はおろか、バイクでの通行も困難そうに見えました。
別子山側は相変わらずの様子でした。
(隧道内部の様子は確認しておりません)

・下七番トンネル旧隧道
大永山側アプローチ道は以前と変わらぬ様相でしたが、
別子山側の坑口付近にプチ土砂崩れが発生、四輪での通行が不可と
なっていました。その上植物の侵食が激しく、今後が心配です。
(積もった土砂に四輪がアタックした形跡がありました。苦笑)

   マフラー巻き  2006年8月17日(木) 15:03 [修正]
近況報告ありがとうございます。

>>殿小屋
土砂テンコ盛になった後、一度だけ別子山側から隧道に行きました。
なんとか通れる&相変わらず重機が置いてある状態です。
あの土砂は、周辺の道路拡張で発生したもののようですね。
改良著しい路線なので今後も大規模な工事が続いていくと思われます。

>>下七番
こちらは今年の春前に訪問した際には平穏無事でした・・・。
そうですか、あの怪しい斜面がついに崩れましたか。。
このまま廃隧道として成長し、凄まじい「廃」に包まれていくのかも知れませんね。
住友林業の管理地だったけど、ウルトラCが起きて修復されないかしら?

 大三島トンネル下バス停のなぞ  taihei  2006年8月6日(日) 22:40  HP
[修正]
ごぶさたしております。
しまなみから佐田岬,佐賀関と経由して現在臼杵市に投宿しておりますが,大三島 本川隧道のレポートにありましたバス停に残る「トンネル下」現地で地元の方にたずねたところ,「天井川」にあったトンネルとのことでした。現在は川床を下げる改修をされており,見る影もありませんでした。

 おおお!  マフラー巻き  2006年8月8日(火) 16:34 [修正]
愛媛に来県されていたのですね!八幡浜の大峠隧道、いかがでした?
普通車での通行はかなり気を使った事と思います。チャレンジャーですね。

ところで、大三島のトンネル下バス停には、そのような由来があったのですね。
本川隧道といい、ここにも天井川隧道があったとは・・・
いやしかし、解決しました。情報ありがとうございました!!

お隣の県ですし、いつかオフ会もやりましょうね。

   α星  2006年8月9日(水) 0:04 [修正]
早速確認すると、49年、昭和56年の両航空写真で天井川隧道確認できました。写真上では隧道というより水路橋のような感じでした。49年と56年を見るとどうやら天井川隧道は新旧隧道があったみたいです。49年の写真には新隧道は写っていません、撤去は56年以降と思います。新隧道は49年〜56年の間に完成したと思われかなり短命だったと思います。

   taihei  2006年8月9日(水) 7:14  HP [修正]
>>大峠隧道
最初は無理せず引き返すかなと思っていたのですが,転回スペースが小さく,苦労して切り返すよりはと思い,トンネルの幅を測ってから「OK!」ということで突入しました。壁についた傷が私以上のチャレンジャーの存在を物語っていました。

あと,初めて夜昼峠を越えましたが,峠の切通やレンガ巻の千賀居隧道,八幡浜方面の展望などいい峠道でしたね。

>>天井川
地元の方のお話だと撤去は20年〜25年くらい前かなあというお話でしたので,昭和の終わりころでしょうか。

>>お隣の県ですし、いつかオフ会もやりましょうね。
はい,やりたいですね。絵の島オフも忘れているわけではありませんので。。。。
今回は松山時代の友人と野球を見に行ったのですが,どこもかしこも阪神ファンばかりでした。

 大滝隧道&高知の撤去隧道  α星  2006年7月31日(月) 1:58
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大滝隧道拝見しました。両脇の玉石積みは立派です、無理に二車線にした隧道だったので消されても仕方ないですが在りし隧道を訪れたかったです。
画像を拝見すると坑門の左にも看板がありましたが、あれは「幅員狭し」とでも書かれてたのでしょうか?ちょっと気になります。上部の防げ赤潮は謎です。
名額は何とか確認できますが、跡地に残されている竣工年の名額が見あたりませんでした。昭和32年竣工の隧道は私の調査でも全国的に撤去が多い気がします。雲望洞、岡山の江川隧道、千葉の浅間隧道などいずれも撤去され同じ昭和32年完成です。

あと高知の撤去隧道で県道27号にかつてあった大浜隧道は私の調査では、消えた原因が2つ有り、祖父の話では道路拡幅、タクシーの運転手の話では自然崩落により無くなったとのことでどちらが真相か分かりません。昭和50年の航空写真に大浜も大滝も存在が確認できましたので、是非サイトの写真を載せてください。大浜は航空写真から延長が30m近くあったのではないかと思います。

 星越隧道  結晶偏頑  2006年7月10日(月) 16:04
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はじめまして、と、言うより先日 白木さまと共に
「佐々連旧鉱」をご案内いただいた者です。
その節は、雷雨のなか鉱石探索にお付き合いくださいまして
ありがとうどざいます。

名前の結晶偏頑は結晶片岩(あの辺の稀産鉱物を産出する岩帯)から
ちょいパクリでいただいてます。
どだい、鉱物を探そうなんて連中は皆、偏屈で頑固(ピッタシ!!)
だから好んで愛用しています。

前置きはそのくらいにして、隧道の星越は「ほしごえ」が
正しいとおもいます。
古来 そう呼称されていましたから。

少し南にあった駅舎も、一時取り壊しの話が出て、
風前の灯でしたが、強い保存を望む声があがり
かろうじて息ながらえました。
私が幼少のみぎりは、この駅は貨車の入替操車場で、
もう、鉄マニアが見たら涙と涎を流しそうなミニSLが5〜6輌、
複雑に絡み合った線路の間を行きかい、
そりゃもう壮観でした。

「タイムスリップした町並み」は、住友関連の高級管理職用社宅です。
山田(または星越)社宅と呼ばれてました。
このてのマニア(いろいろいるんですね。)の情報によれば、
現存する木造社宅の現役では、日本最古のものだそうです。
近年、老朽化のため取り壊し建て替えが急速に進んでいます。
消えるのも時間の問題でしょう。

下部鉄道あとは、住友から市に移されたときは、
サイクリングロードとして、整備されるはず(一部はそうなっている)でした。
畑にしている連中がおるんですね。
あれは、そのまま黙認すれば、
法的に「耕作権」とやらができて、
ややこしいことになるんじゃないんですか。?

山の奥の細道をバイクで走るのも好きです。
因みに私の愛車はスーパーカブ90です。
選択の基準は荷台の大きさです。


 おお!  マフラー巻き  2006年7月10日(月) 16:43 [修正]
ありがとうございます!実は「星越」はいまいち読み方が判然としないまま
掲載していたので、はっきりして嬉しく思います。助かります!後程訂正しておきます。

耕作地ですが、住友や市の警告看板がたくさん立てられていますが、
キロポストを引っこ抜き、枕木をうっちゃるなど傍若無人な振る舞いです。
おっしゃる通り、耕作権などややこしい事になる前に撤去して欲しい・・・。

山田社宅も近年取り壊しが進んでいるのですか。。。勿体ないような気もしますが、
これも時代の流れなのかも知れませんね。星越駅舎だけは死守して欲しいものです。

カブの90だとある意味最強だと思います。鉱山など、策道と人道敷かなかった場所に
訪問するには、小さな軽量バイクが最適ですよね。荷物も乗るとなるとなおさら!

佐々連はお疲れ様でした。久しぶりの山だったので楽しく過ごせました&鉱石ありがとうございました。
あれは飾る前に歯ブラシで磨いてもよいのでしょうか?家宝にさせて頂きます。

 家宝なんて畏れおおくて。  結晶偏頑  2006年7月12日(水) 20:10 [修正]
とんでもない。ほんのショボイもんでございます。
しかし、ちょっとだけ講釈言わせていただければ。

・青い石
あれは、藍晶石(ランショウセキ)その字のごとく、
藍色でなければなりませんが残念ながら水色です。
でもでも、日本広しといえどもこの程度でも青色を呈するのは、
いまのところ、この鹿森ダム上流のものしか確認されていません。
で、願わくばもう少し結晶の形が柱状のものをと、
そのようなものを求めて川を這いずり回っておる次第です。

・黒い粒々の石
佐々連のズリ山で進呈したもの。
あれは、磁鉄鋼で磁石がくっつく鉄鉱石です。
やや赤っぽいところは結晶できなかったガーネット。
黒緑なところは角閃石という石で出来ています。
あの産状(結晶と母岩の組み合わせなど)は、
佐々連を特徴づけるものです。
長いヅリ山暮らしですっかり垢に塗れています。
硬い石ですから、歯ブラシと言わずワイヤーブラシで
ガシガシやっても大丈夫です。

でもでも、家宝なんて畏れ多い。
ほんのショボイものですから、そのへんに転がしといてください。

 別子銅山のテレホンカード  やぶお  2006年7月10日(月) 18:44  HP
[修正]
マフラー巻きさま、こんにちは。
きょうも蒸し暑かったですねえ。

きのうは弊掲示板に別子銅山の平面交差のあとの写真を紹介していただきありがとうございました。

鉄の友人から昔々、別子銅山鉄道のテレホンカードをもらったことを思い出し、スキャンしてみましたので、ご覧ください。

この鉄道は人力だと思っていたのですが、なかなか立派な蒸気機関車を使っております。

いちおう素堀のトンネルも写っているようないないような?

 ありがとうございます!  マフラー巻き  2006年7月10日(月) 21:05 [修正]
これは別子鉱山鉄道上部鉄道の石ヶ山丈駅付近の掘割です!!
素晴らしい!!!!これは感動しました。レポを書く際に掲載させてください!

そしてこの機関車はクラウス製蒸気機関車ではないでしょうか?
別子鉱山が始めて導入した動力車なんです。貴重な写真ですよこれは!

石ヶ山丈のこの掘割は現在も姿を留めており、近代土木遺産のCランク認定を受けております。
ありがとうございました。貴重な写真を見せていただき、ネットわらしべ長者になった気分です!

 喜んでいただき光栄です  やぶお  2006年7月11日(火) 6:04  HP [修正]
マフラー巻きさま、こんにちは。
喜んでいただき光栄です。
そんなに貴重な物だったのでしょうか。保管していた甲斐がありました。

当方はオレンジカードの蒐集はしていたのですが、テレホンカードまでは守備範囲ではなかったのですが、鉄ネタだったのでいちおうとっておいたものです。

譲り受けたのは昭和62年頃だと思います。まさかそれから20年近くたって、マフラー巻きさまに喜んでもらえるとは・・

画像はどうぞご自由にお使いください。よろしければ、画質のよい画像をメールにてお送り致しますよ。
当方の板に、別子鉱山鉄道のレスが入りました。よろしければまた遊びにお越しください。

つけたし
レポート公開の折には、ぜひお知らせください。
石ヶ山丈の掘割、現在も残っているとは驚きです。一度訪ねたいものです。

 今日も今日とて  学生服のヤマダ  2006年7月10日(月) 0:36
[修正]
おひさしぶりです。
つらつらと旧道走らせてもらってましたら
ひょんな所にありました。
白看板^^
(ここ前の仕事で何回も通ってたのに
 今回初めて気が付きましたです^^)

 おまけ  学生服のヤマダ  2006年7月10日(月) 0:37 [修正]
家のすぐ近くにある古い標識です。
夜見るとちょっと怖くなります。
これだけ、おどろおどろしいと
あながちこの標識の噂もウソじゃないような気もします^^
私はどちらかと言えば連れられてる(右)のは
宇宙人にしか見えないのですが・・・
すみません^^
こちらはどうでもよいネタでしたね

 白看板  マフラー巻き  2006年7月10日(月) 14:23 [修正]
お!味のある白看板ですね。軒先をかすめる道路にひっそりと残されているんですね。
いずれ府能隧道に再訪問しようと思っていたので、ついでに立寄ってみます。

通学路看板の噂、本当のところはどうなんでしょうね?
それにしても徳島は遠い・・・。(笑

 白看板感激です!!  やぶお  2006年7月10日(月) 18:39  HP [修正]
学生服のヤマダさま、ご無沙汰しております。

白看板懐かしいですね。以前はどこもこういう道路標識でしたね。
でも気がつかないうちに姿を消して・・・
撮影は徳島県下の旧道でしょうか。
旧道の景観も味わいがありますね。

 大井川鉄道の日本一短いトンネル  やぶお  2006年7月8日(土) 12:50  HP
[修正]
マフラー巻きさまこんにちは。
暑くなりましたねえ。
先日は伊予鉄道の電車風景を3枚も貼っていただきありがとうございました。
あれから当方の掲示板は、伊予鉄道の話題を何人かの方が投稿してくださり、話題が繋がりました。ありがとうございました。

さて、先週大井川鉄道に出かけました。
以前も紹介したことがあるのですが、日本一短い地名(じな)トンネルを近くから撮ってまいりましたので、貼らせていただきます。

元はこの上に、お茶運搬用の索道が通っていたそうです。

 短いトンネル  マフラー巻き  2006年7月8日(土) 22:12 [修正]
トンネルというか、上に山がありませんね。(笑) 世の中には珍しい物が沢山あって面白い限りです。ありがとうございます。

道路隧道(全ジャンルの隧道かも)では日本一短いと思われる、高知県の荷瀧隧道を貼っておきますね。軽四の全長よりも短いトンネルです。

 山の無いトンネル  マフラー巻き  2006年7月8日(土) 22:13 [修正]
で、こちらは上部に山の無い町内トンネルです。これは牟岐鉄道にあるものです。

44mあるので、記録的に短くは無いですね。

P1 P2 P3 P4 P5 P6 P7 P8 P9 P10 P11 P12 P13 P14 P15 P16 P17 P18 P19 P20 P21 P22 P23 P24 P25 P26 P27 P28 P29 P30 P31 P32 P33 P34 P35 P36 P37 P38 P39 P40 P41 P42 P43 P44 P45 P46 P47 P48 P49 P50 P51 P52 P53 P54 P55 P56 P57 P58 P59 P60 P61 P62 P63 P64 P65 P66 P67 P68 P69 P70 P71 P72 P73 P74 P75 P76 P77 P78 P79 P80 P81 P82 P83 P84 P85 P86 P87 P88 P89 P90 P91 P92 P93 P94 P95 P96 P97 P98 P99
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