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目黒隧道(コンクリ巻)旧道
地図 
昭和49年11月、目黒隧道の竣工を持って
旧道化した松野町の地蔵峠を訪問しました。

今回、旧道化して30年ほど経過していることと、
まーきみ。さんより、道が荒れていて
二輪でも厳しいとのタレこみがあったので、
悪路に強いデフロック付軽トラで挑戦です。

昭和42年発行 道路地図 
ちなみに、昭和42年1月6日発行の「最新ミリオン道路
地図帖」では、地蔵峠目黒峠と表記されていました。

本レポートは、郷土史が地蔵峠としていたことと、
現在の道路地図や地形図に従い地蔵峠で進めます。

地蔵峠のある路線は、かつて松丸街道(目黒街道)と呼ばれ、
西土佐と南伊予の交流が盛んに行われていました。
また、松野町には土佐街道(三間街道)と呼ばれていた
国道320号線もあり、松丸街道と土佐街道が松野町松丸で交差
していたので、松野の町並みに往時の繁栄の名残を見られます。

松丸側 旧道分岐点 
峠への旧道は、地蔵峠というバス停の前から始まり、
現道は、急な上り坂を持って目黒隧道へと向かいます。

この時点では、地形に沿って造られた旧道の方が、
勾配が緩くなっていました。しかし、それも最初の数キロのみ。

かつては、目黒の関門と呼ばれた地蔵峠であり、
当時、悪路で名高い南予路(鬼北路)の代表格だったのです。

最初の分岐 
旧道を1キロほど進むと、画像の分岐点が現れました。

旧道の正解は右の道なのですが、ここに至るまで旧道の
状態が非常に良かったことと、轍に釣られたせいで
左に行ってしまい時間をロスします。

地図はちゃんと見ようぜ!と、助手席VS運転席で、
プチ責任のなすりつけ合いをして旧道へ向かい直しました。

簡易水道 
最初に「厚生年金・国民年金 積立金還元融資施設」と銘打ち、
目黒に給水する簡易水道施設があります。

この施設を過ぎると、道路維持管理の名目を失った旧道は、
一挙に荒れ果てており、常時四駆で進むこととなりました。

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