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目黒隧道(コンクリ巻)旧道
目黒側 旧道分岐点 
峠に取って代わった、現在の県道8号線(西土佐松野線)は、
当初の計画で昭和48年に全線開通するはずでした。

しかし、工事予定地に石灰鉱山の鉱区が重なってしまい、
交渉が必要となったことで、1年遅れの完成となったそうです。

調べてみると、近くに松丸大理石鉱山、少し離れた場所に
谷口鉱山という、どちらも石灰石の鉱山が存在していました。

目黒側 坑口 
県道8号線の目黒隧道の工事では、殉職者が出てしまい、
この目黒側坑口のそばに慰霊碑が建立されています。

碑文
君は目黒隧道工事 第一班の班長として 現場の指揮に当たり
作業員の安全確保に努め 率先垂範して その職責を全う中 殉職す
時に昭和47年11月25日  享年35才  愛媛建設株式会社建立

目黒方向を望む 
扁額及び銘板

現在は、主要地方道に指定されていますが、建設当時は
一般地方道であったということが、銘板により分かりました。

松丸側の風景もリンク。
隧道の前後には、ありがちな急カーブこそ無いものの、
急こう配のせいで見通しが悪くなっています。

内部 
ほとんど直線ですが、松丸側の坑口付近にカーブがあり、
向こうの光を見通すことはできませんでした。

昭和49年11月竣工
この年、佐藤 栄作 元首相がノーベル平和賞を受賞。
延長639.5m、幅員6.5m、高さ4.5m。
隧道により、約35分掛かっていた松丸〜目黒間の所要時間が
約20分に短縮され、道路の安全性も飛躍的に高まっています。

松丸側 坑口 
この隧道が造られる際には、観光開発による公害が恐れられ、
滑床渓谷にホテルや駐車場を作らないとの方針がありました。
これは、目黒を拠点として滑床までハイキングすることにより、
公害及び目黒の過疎対策にしようとの目論見だったそうです。
しかし更に時は流れ、車社会となった現在の滑床渓谷には、
駐車場は勿論、ランチの美味しい森の国ホテルも出来ました。

調べるほど、時代の流れを感じさせてくれた場所です。

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