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目黒隧道(コンクリ巻)旧道
建物の跡 
峠の目黒側には、なんらかの建物の基礎である
石垣が遺されていました。峠の茶屋か、もしかすると
庚申庵(お堂)の痕跡なのかもしれません。

元々この峠に祀られていたという、三体の地蔵ですが、
後年、二体が松野町目黒にある建徳寺に遷移されました。
近いうちに確認しに行きたいと思っています。
※H22.7.18 確認。P5に情報追加しました。

旧道 堀割の目黒側 
残る一体は、この峠に変わらず安置されていたそうですが、
この日は、なぜか見つけることができませんでした。

この峠より古い道があるので、そちらにあるのかも知れませんが、
一つ気がかりなことが。。それは、堀切りの岩盤が片岩であり、
年月による風化で、剥離と崩壊が激しかったことです。

その崩壊に巻き込まれ、地蔵が埋まっているような気がしました。

旧型ガードレール 
路線バスも通ったこの路線、要所毎にガードレールを
見ることが出来ますが、いずれも支柱の四角い旧型でした。

また、峠にある雨量観測所への道となっているのでしょう、
峠より西土佐側の方が路面の状況は良くなっています。

とはいえ、五十歩百歩なので四駆は必須でしたが。

旧道 擁壁工 
道路脇に、擁壁となる石垣が当時のまま見られました。

地蔵峠の掘切りが、大正末期に造られているので、
この谷積みされた石垣群も、その頃の物と思われます。

また、峠より目黒側の距離は松丸側と同じで約3キロほど。
旧道の最後には、昭和40年3月竣工の国木谷橋がありました。

国木谷橋 
国木谷川(くにぎたにがわ)に架かるこの橋ですが、
地蔵峠が大正末期、目黒隧道は昭和49年竣工であることから、
少なくとも一度は架け替えられていることが分かりました。
おそらく、目黒隧道や周辺の道路整備で重機が入る為、
その荷重に耐えられるよう、改められたものだと思われます。

更に、橋台の石積みが昭和40年代にしては古かったことから、
旧橋の橋台を再利用して、同位置に架け替えられているようです。

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