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石組+素掘り

看板
軌間500mmで明治35年に開通した鉄道は、
東亜戦争直後(1946?)に508mmに改められています。

しかし、現在はこのような看板を認めることができ、
内部でしっかりと閉鎖工事が行われたことが確認できました。

明治27年に掘削が始まり、閉鎖工事の行われたのは平成15年、
その間はなんと約112年!長い間お疲れさまです。感謝。

振り返り
別子銅山の閉山した理由は、
資源の枯渇ではありませんでした。

現在も有力な鉱脈が幾つも残されていますが
深度が進むにつれて地熱が上昇して作業効率が低下、
その対策によるコストが採算を圧迫したのが原因です。
発破用のダイナマイトが自然発火して爆発するほどの
地熱に対抗する資金と技術を調達できませんでした。

地球規模で資源が枯渇し始めたとき・・・、
いつかは分かりませんが再開する日が来るのでしょうか?

おまけ
第三通洞前は谷を生めて造った広大な埋立地で、
広場より目線を北に移せば煉瓦造りの建物が目に入ります。

これは明治36年築の別子銅山第三変電所の建物で、
現在は廃墟となっていますが中に入ることができます。

昭和40年まで使用されたこの第三変電所内の写真は
上部鉄道編にて紹介したいと思います。

上部鉄道への分岐点
この登山道は第三通道と中マンプの間にある
小さな公園の脇から延びています。

入り口には看板が設置されており、
朽ち果てつつもその役目を全うしていました。

日浦通洞編に続く・・・。
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