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歯長隧道(コンクリ巻)旧道

道中案内
有志によって立てられた看板のお陰で
道に迷う心配はほとんどありません。

この看板、遍路道なら新旧を問わず四国全てにあるのですが、
なんと数人の有志によって善意で立てられたものだそうです。

その数は千を軽く超えるとのこと、凄い。

林道と峠の分岐点
快適な林道をいつまでも進みたいところですが、
このまま行くと高森山に行ってしまいます。

写真の地点にある電力会社の保守道が遍路道で、
峠に向かう一番の近道となっていました。

山道
徒歩が限界の荒れた山道が始まりました。

スニーカーを履いてきたので滑り気味、
登山靴を履いていれば何ともない道です。

遍路道の札が要所〃に沢山懸かっており、
その裏には個人名と住所が記入されていました。
これらは遍路の願掛けを兼ねているようです。

北側 峠道
分岐点を過ぎてから斜面の直登に近い斜度でしたが、
10分ほど歩けば稜線が見え、空が一気に広がりました。

ところで、この歯長峠には「はなが」と言う名が付いた
きっかけを説く民話が伝わっているので紹介します。

「この話は各地に残る巨人伝説の一つにも数えられる。
歯長の地には、各方面で伝説的な人物である東国武将、
足利又太郎忠綱の武勇伝が今もなお多く残されていた。

歯長峠にて
足利又太郎忠綱は源氏の出生ながら訳あって平氏側に付き、
功名をはせたものの平氏が滅び、この地に逃れついた。

この男、力は百人力、声は十里四方にも及ぶ大きさで、
歯の長さは実に一寸余もあったそうな。それゆえ、
またの名を歯長又太郎!この地で庵を結んだことから
峠にも歯長の名がついたそうな。」(宇和の歴史探訪記より)

峠には裏に明治32年、大正13年の表記がある
大きな造林記念碑も建つ50u程の平場がありました。
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