松山空港 地下トンネル
RC造 ボックス型通路
地図 
戦後、GHQが発令した航空禁止令によって閉鎖されていた松山基地は、
限定認可となる昭和31年に「松山空港」として開設しました。

そのせいか、開設当初は600m滑走路1本の小さな空港であり、
時代を得て順次拡張工事が行われつつ、現在の姿になっています。

軍用から、民間として転身した松山空港を初めて利用した旅客機は、
極東航空(全日空)の伊丹〜松山便(DH-104)で、
昭和31年3月21日に伊丹からの便が着陸しました。

松山空港としての歴史的瞬間です。

南吉田町側 アプローチ 
開設当初は、施設らしい施設のない空港であり、
吹きさらしの滑走路には、フェンスも無し・・・
航空機を見に来る野次馬が多いうえ、滑走路を
横切る農道が通っているという凄い施設でした。

その農道は、航空機が離着陸の態勢に入ると、
遮断機を降ろして通行を制限していたそうです。

農業補償 
実は、農道が通っていたのにも理由がありました。
農地を軍が接収して松山海軍航空基地を造ったことで、
残された農地が大きく分断されてしまいます。
この分断は、迂回路のない海岸線を侵すものでした。

そこで、滑走路内を通過させることで、分断された農地への
大迂回を回避し、不便を解消するという農業補償を兼ねて、
滑走路内に遮断機付きの農道を通すという暴挙だったのです。

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