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多くの人が目にする穹窖砲台

遠くから
私は養殖場に移動して元自衛官さんが降下するのを
デジカメの望遠で撮影することにしました。
もうちょっと引きの撮影だったら迫力が伝わったかも。

急角度のうえ足元は崩れやすい風化した岩場なので、
決して真似をしないようにお願いします。

技術のない私は、灯台直下のトーチカには行かず、
二人にもう一つあるカメラを託しました。
今、気が付いたけど二人ともヘルメット被ってないな・・・
せっかく持ってきてたのにオソロシヤ・・・。

真上から撮影
ラペリングが珍しくて何枚も撮影、
降下地点は穹窖砲台の上部脇にある切通しからです。

ところで、この砲台に備え付けられていた砲は
大分の鶴見崎要塞から移設されてきたものであり、
38年式12cm榴弾砲がそれぞれ一門ずつの計4門です。
昭和20年(1945)にトーチカの設営が完了しました。

第一、第二砲台は昭和19年までに廃止されていますが、
昭和20年に本土決戦準備で、新たに穹窖砲台が構えられ
守備には、豊予要塞重砲兵連隊第五中隊が就きました。

灯台側トーチカ内部
あれやこれやと試して後輩さんがトーチカ進入に成功!
撮影してきてくれた写真を拝借してレポートを続けます。

この砲台は南側の物で、砲座の痕跡は健在、
坑門はベトンで固められており今でも安定しています。

豊予海峡に向け射角も十分得られていました。

木造!?
トーチカの内部を進むと巨大な木材が。

素掘りの壁面に支保坑として据え付けられたのでしょうが、
未だに腐ること無く健在な様子です。

さすがに素掘りの壁は爆破の影響を受けて崩れていますが
太い木材が完全な崩落を防いでくれていました。

更に奥へ
事前の予想通り、灯台直下のトーチカは
内部で連絡通路により繋がっていました。

今もトーチカの坑門側から入る通路跡が一部確認できますが、
それだけだと通路が海峡の正面に位置してしまうことになり
いざという時に射撃に晒されて危険だったはず。

しかし、他に出入口の痕跡は発見されなかったので
東部にあったはずの出入口は崩落して果てたようです。

灯台から
ラペリング部隊による内部探索を終え灯台から砲台を観察・・・
観光客から「(砲台を指差し)あれの学術調査ですか?」と問われ
「はい、まあそんなもんです。」と答えてみたり。w

続いて御籠島(大島)に残されている穹窖砲台跡へ向かいます。

と、その前に昼食。コンビニで用意したオニギリなどを
慰霊碑の前で車座になって食べました。(ダベリ)
仕事や今まで探索した地の情報交換、楽しかったです。
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