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佐々連坑

地図
産出された鉱物は主に金・銀・銅・硫化鉄・鉄・亜鉛と、
複数あり、規模の大きな鉱脈を複数持っていたようで、
別子銅山と並んで住友金属鉱業の主力鉱山でした。

鉱脈の発見は、元禄2年(1700年)らしいのですが、
実際に操業が始まったのは明治に入ってからで、
近代的な鉱山なったのは大正7年からと記録されています。

鉱山が現役の時代には、鉱山鉄道が走っており、
ここにも隧道を求めての訪問です。

記念碑
※追記※
当レポを作成した後、私が鉱山会社敷地に不法侵入している輩だと
非難しておられる方がいますが、訪問したH16年には記念碑周辺が
解放されており、当日も多数の観光客がおりました。また、現地にて
鉱山会社の関係者から許可を取った上で施設の撮影をしております。

私の説明不足が一因かも知れませんが、持論で勝手な非難をせず、
問い合わせをした後、ネット上に持論を公開して欲しかったです。
社会人としての常識ある行動をして頂ければ、お互いに嫌な思いをせず、
趣味の近い人同士の交流へ発展したかもと思い、非常に残念でした。

碑文
碑には、佐々連鉱山で産出された銅が用いられていました。

これによると、鉱山は色々な会社の元で経営され、
昭和17年に現在の住友金属鉱業が買収したそうです。

クリックの拡大で、碑文を読めるように配慮してあります。

鉱山入口
森林鉄道跡や廃線を歩いているとよく見かけるのが、
このように古レールを利用した柵です。

現役の鉄道会社でもレールを用いた柵を見ることがありますが、
再利用される理由は、レールに用いられる鉄が特に堅くて強いうえ、
しなりも併せ持つ最高級の鉄だからだそうです。

また、戦時中に色々な鉄道が戦時不要不急路線とされた背景には
戦地での機動力確保の他、慢性的に鉄不足だったことから、
民間の鉄道から優秀な機材を収用する必要があったのでしょう。

レール
ここで柵に用いられている物は9kg/mレールでしょうか?
細くてかわいらしいレールでした。

四国の山奥に存在する鉱山なので、
鉱石の運搬には古くから軌道が用いられており、
最後は約8kmの長さを持つ索道で伊予三島江ノ元港に
搬出されて船に積み込まれていたそうです。
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