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銅精錬施設+廃墟群

島 南部
しばらく行くと台地が見えてきましたが、
これはカラミによって埋め立てられた土地です。
それにしても、島の色彩は異常ですね・・・。

現在の精錬所では、カラミはこのように投棄されずに
二次製品になったり、埋め立て処分が行われています。

カラミ
キューポラ(炉)から不純物として排出されるカラミは、
カラミ列車というどんぶりを乗せたようなトロッコに載せられ
海に向かってダンプカーよろしく垂れ流して投棄されていました。

埋立地は、ドロドロに溶けた鉱石のカスが広がる世界になっており
とても不気味、触ると今でも火傷をしそうな錯覚に囚われます。

※直リンクしているカラミ列車は新居浜市にある
県立総合科学博物館に展示されている本物の車両です。
別子銅山の精錬をしていた四坂島にあった廃車両を
展示用に整備して設置されました。HPはこちら。

埋立地より
キューポラの場所から扇状にカラミが畝になって広がるのは、
レールの上を走るトロッコで直線的に運ばれたからです。

真っ赤に燃えたカラミは、海水に接してもなかなか冷えず、
夜中に見ると島が燃えているように赤く光って見えたそうな。

鉱石と精錬所
手前は銅鉱石のようですが、ズリ石として捨てられたのか、
高炉に掛ける前の高品位鉱石かは私には分かりません。
しかし、この風景から廃の迫力が伝わってきました。

後ろに見えるのが佐島精錬所の跡地です。
大正6年(1917)には、月産168tの銅が精錬されましたが、
現在は、錆びに覆われた鉄骨が物々しくそびえるのみ。。

精錬所に付きものの煙害も明治41年から顕著になり、
閉鎖した大正9年まで他所と同じように問題になりました。

精錬所
大正4年には煙害のよる農業被害を直訴する為に
佐島へ大浜地区の農民130人が上陸(殴り込み)し、
大正7年にも矢野崎村の農民が島へ上陸しました。

訪問は大正9年に廃止されてから約85年後となります。
経年で朽ちるに任せた工場群の屋台骨ですが、
太さがあるのでまだ崩れそうにはありませんでした。

二階の部分には、高熱に耐えることができることから、
精錬所のキューポラ(炉)に用いられる珪酸煉瓦が
崩落もなく、綺麗に組まれたまま残っていました。

一階部分
二階から珪酸煉瓦の部分から燃料と鉱石を運び入れ、
この写真下方の一階部分からカラミが排出されていました。

この廃墟の脇には、炉心冷却用の水を溜めておく池もあります。

池の深さを測りはしませんでしたが、炉の脇にあり、
上ばかり見ていると落ちるかも。要注意の場所です。
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