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マンガン・輝安鉱
本坑 
坑口前に大きな平場が残されており、
坑内図から建物(鉱山事務所)があったことが分かります。

本坑とは別に、東1号坑が左方頭上にあるようですが、
本坑前から東1号坑・坑口の存在は伺えませんでした。

※緑色の文字をクリックすると現在地を記します。以下同

東2号坑 
本坑の北側に東第2号坑(推定)が開いていました。
本坑の坑門に接続されるように開口されていますが、
坑口付近から上り急勾配となっていて寄り付けません。
危険なので、この東2号坑はスルーすることに決定、
ゆえに、本当に東2号坑か判断できませんでした。
そして遂に、目前に大きく開口している本坑へ向かいます。

この鉱山は、大正8年に初めて採掘鉱区となりました。

古宮鉱山 沿革 
昭和7〜8年に吉田栄吉と言う人物が採掘、昭和26年に池田善晴が
引き継ぎ立野地区のマンガン鉱床を探鉱開始、昭和31〜32年に
20t/月を処理できるジッガ―等の機械設備を整え、低品位珪酸Mnを
約6,000t出鉱、その後、山口利夫が買収した後、辻中鉱業へ売却。
辻中鉱業時代の昭和35年に閉山を迎えています。
最終的には選鉱所を備えており、ジッガー3基と手選鉱により
昭和32年に月産粗鉱200t(品位Mn23〜26%)、
精鉱の日産は約3t(品位Mn35〜36%)を記録しました。

本坑 大ホール 
本坑へ入ると相当広い空間が掘られていました。
大ホールと言っても差支えない規模であり、
設備・鉱脈の場所と人用通路がはっきり分かれています。

今回、この鉱山へ同行してくださったのはアルプ日記
美人OLアルプさんとマイミクのゴミムシくんです。
廃鉱山を訪問するときは、単独よりも少数で行くと
万が一の際に応用が効くので助かりました。

 
私が用意した懐中電灯5本を3人で分け合って大ホール内へ。
坑内現在地
ただし、危険な場所に立ち入るのは自己責任!

産出された鉱石は索道を用いて「つづら川道」へ搬出、
選鉱所からはトラックで国鉄北伊予駅や三津浜港に運び
最終的には、神戸製鋼所高知工場へ売鉱されていました。

坑内漏斗 
ホールを進んだところに縦坑が突然開いています。
これには驚くと共に、廃坑の危険が危ないry

調べてみたら、この縦坑は坑内漏斗という名の
本坑及び東1号坑で出鉱した鉱石を落とす穴で、
穴の先は大切坑(東3号坑)へ続いていました。

後に、大切坑内からこの縦坑の出口も確認済みです。

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