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煉瓦巻

標識類の残骸
高さ制限などの標識がついていたポールが立ててあります。

石で組まれた盾状迫石ですが、三重県など紀伊半島の
煉瓦隧道には多く見られますが、四国ではこの橘隧道でしか
確認されていません。紀伊半島と徳島、海を挟んだ対岸同士ゆえ
技師の交流か、人事交流があったことが伺えました。

また、隙間なく丁寧に積まれた掘割の擁壁にも注目。
非常に手のかかる切込接(きりこみはぎ)という積み方で施工され、
現在でも全く綻ぶこと無く石垣を保っています。

内部
見事の一言。
上から下まで見事な煉瓦積です。

隧道は、阿南側に向けて下りの方勾配になっており、
途中から水没していました。長靴装備でいざ進行。

西方向を望む
昭和50年代まで現役で共用されたのも納得の幅員。

さすがに、大型車同士の離合は不可能だったでしょうが、
普通車対軽四(辛うじて普通車も)は離合できそうでした。

中心部
照明は蛍光灯が設置されていましたが、
その架線は途中で力尽きたように垂れ下がります。

また、中心部のアーチはコンクリによる補修がされ、
煉瓦がモルタルの下に塗り込められてしまいました。

壁には、何かを引っ掛けるような金具が両側に続いており、
電話線か古い照明関係の架線が通じていたようです。

水没
水深は20pほどなので長靴を履けば何とか踏破できます。

ただ、季節によっては水は干上がるらしく、
晴天が続いた頃、特に冬に訪れるのがよいそうです。

私は、水没していても写真のような風景を見せてくれるので、
この程度の水没ならありだ!と、思うのですが皆さんは?

ここで引き返して、残りは反対側から攻めることにします。

阿南市側 アプローチ道分岐点
こちら側は現トンネルの脇にある地蔵堂の裏から分岐。

この国道、周辺で行われているバイパス工事の影響か、
大型車の通行がとても激しいので注意しながら進入しました。
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