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煉瓦巻

廃道 阿南市側
なかなかの荒れっぷり!ここぞとオフロードバイクで突撃。

急坂になっているので、徒歩で進入の方が安全ですが、
せっかくオフ車に乗っていたので楽しく走らさせて頂きました。

しかし、途中で工具箱が開いて工具を道一面にバラ撒いたので
慌てて拾いました・・・。誰も通らない道でよかった。

はて?
付近にある鉱山から出たズリ石により埋立てを受けたようです。

そのせいで旧道筋は消滅した上、地形が大激変してしまい
整地されたような平らな風景&薮が広がっているのみです。

一体隧道はどこに?さっきはちゃんと光が見えていたぞ〜?
と、しばらく薮の中を彷徨って探したところ
北側の丘沿いに、何とか見つけることができました。

阿南市側 坑口
天井の高さまで周囲が埋立てを受けており、
坑口に降り立つには3mほど滑り落ちるようにして
ズリ山を降る必要がありました。

幸いにも煉瓦巻の坑門はまだ残っており、
内部に流れ込んだ土砂があるものの根性で進入可能です。

こちらも、四国で唯一の楯状迫石が立派です。

阿南市側 内部
隧道データを下記に。

明治43年竣工
ハレー彗星の接近で空気がなくなるというデマが広がったそうです。

延長101m、幅員4.1m、高さ4.5m。

幅員4m以上を確保しており、高さなどは現在のトンネルと
同じ規模で造られています。元が国道ではなく、町村道や
農林道だったとしたら、今でも現役だったかもしれません。

内部より
ズリ山が崩壊してなだれ込んできている他に、
こんな場所にまで家電製品の不法投棄があるのにちょっと驚き。

隧道自体はとても立派な造りであるだけに勿体無い。
まだまだ痛みも少ないようなので
近代土木遺産に登録されるのを願っています。

※H.17 3月に当サイトの推薦により指定されました。(祝)

竣工当時の姿
学生服のヤマダさんから竣工当時の画像を頂きました。
貴重な写真をいつもありがとうございます!

下の欄外に阿波国橘トンネルと記載されており、
間違いなくこの橘隧道を写した物と分かりました。

この画像に明治43年開通と記されており、
写っている人の服装も時代に合致しています。

画像は、法面の様子から「那賀町側坑口」と推定。
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