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コンクリ巻

内部
待避所も3箇所ほど残されています。

不要不急路線として戦争中に廃止させられて
供出した塩江温泉鉄道の機材ですが、
使用されていた22kgレールのほぼ全ては台湾へ、
ガソリンカー(車両)は旧満州国の新京へと運ばれ
占領下の新京市電として再利用されたそうです。

内部より
この路線は、昭和4年に開通したものの、
戦争の影響を受け、たった12年後の
昭和16年に廃止されてしまいました。

この時期、戦争や植民地で利用する為に、
国内の多くの路線が廃止され、
機材が海外に持ち出しされています。

中心部より
実測してきた隧道のデータを下記に。

昭和4年竣工
この年、NY市場で株価が大暴落し世界恐慌が発生、
後の第二次世界大戦勃発の原因とも言われています。

延長68m、幅員3.7m(車道3.2m)、高さ4.2m。

架線柱
例に漏れず、ここにも架線の跡がありました。

この辺りは町道として路線が再利用されているので
痕跡ははっきりしています。

しかし、鉄道廃止から60年以上経ち、
他の部分の遺構はほとんど失われてしまいました。

御殿場トンネル 塩江温泉側坑口
転用された2本のトンネルを抜けた後、
香東川に架かる潜水橋を渡って町道からR193へ、
もう1本残されている岩部トンネルに向かいました。

ちなみに、高知県ではこのような橋の事を「沈下橋」と呼びますが、
香川と徳島の周辺では「潜水橋」と呼ばれています。

その理由は・・・なんででしょう?特に無いと思います。
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