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大志呂トンネル旧線(廃隧道2本)
隧道B 南側坑口 
少し気になる資料を見つけたので報告します。

廃線屋さんのバイブルである、鉄道廃線跡を歩くシリーズ
[の巻末に「全国線路変更区間一覧」という表がありますが、
その中には、土佐岩原〜豊永間の変更区間が二つも!

示されている場所は、両方ともこの日歩いた大志呂トンネル旧線
であり、この場所で路線変更が二回行われているようなのです。

旧路盤(南側)の信号柱 
その気になった内容とは、1963年(S.38)8月の現在線完成より
15年前のことで、1948年(S.23)月不詳の防災対策にて、
「鯉ヶ渕トンネル」の新設が示されていたのです。

辿ってきた旧線には、隧道が二ヵ所あったので、
そのどちらかが鯉ヶ渕トンネルだったのでしょうか?
ならば、その隧道のどちらかに更に旧線の存在が…。

新線との合流地点 
次回訪問時に、旧隧道の旧線を探すことにしました。
その時、旧線が確認された方が「鯉ヶ渕TN」であり、
もう一方は便宜上「旧大志呂TN」と呼べそうです。

さて、辿ってきた旧線は隧道Bを抜けると数十mほどの
近距離で現役線と合流していました。旧線南側完歩。
せっかくなので特急の通過を見学して引き返しました。

大志呂トンネル 分岐点 
北側の旧線分岐も、現大志呂トンネル(675m)脇からです。

すっかり薮っていたことと、隧道が無かったので
あまり多くの写真を撮影できませんでした。

旧線にワラビが異様に生えており、草刈機で刈払って
持って帰って売ったろうか!?と冗談で思うほど。

旧路盤(北側)の信号柱 
崖崩れより北方の旧路盤にて、一番の遺構が
2本揃って立っている信号柱でした。
柱には昭和10年10月のプレートがあり、
三縄-豊永間が昭和10年11月28日開業なので
開業当時に建てられた物が残っているようです。
また、足場として犬釘が利用されていました。

他には、保線小屋??がある程度で、1キロほどの北側旧線も
さえ我慢すれば完歩することができます。

こちらもアプローチは例の崖崩れ跡からでした。
最後に、九朗さんのレポートへリンクしておきます。

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