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石組み+煉瓦巻

北側を望む
煉瓦の剥がされた部分は15mほど。

その先は直ぐに北側の坑口となっており、
崩れた山肌の土砂が流入してきていました。

ところで、ここの足元にある大量の瓦礫は
アーチに用いられている煉瓦ではなく、
この山肌の岩と同じ岩でした。

剥がされた煉瓦はどこに行ったのか、
大量の瓦礫はどこから持ち込まれたのか少し謎です。

北側 坑口
とある資料によると、隧道は昭和60年の時点で
既に廃道と化して通行不能だったそうです。

法面からきた崖崩れが、坑口を埋めなかったのは
不幸中の幸いでした・・・。

この場所は他の地点から完全に遮断されており、
埋まってしまうと掘り起こされることは無いでしょう。

北側 旧線
植生と倒木と土砂崩れで廃道に。

これでは抜ける気もしませんし、
抜けたところでJRの線路に突き当たるので
素直に引き返すことにしました。

万が一距離標が残っていたとしても
私には見つけられそうにありません。

平成21年12月6日に再訪問しました。
こちら側を歩いた記録を追加しています。

帰路
もう一度真っ暗な隧道内へ・・・。

近代土木遺産クラスのこの隧道も
埋まってしまうのは間近かもしれません。

坑門の石模様は、他でも見たことのない
独特な雰囲気を持っていると思います。

煉瓦外側の石積みが乱れ積みされていることなどは、
他の愛媛鉄道の遺構にも見られない意匠でした。

おまけ
内部の煉瓦も一部に綻びが。

隧道内には、冷たい強風が抜けており、
煉瓦の表面もやや痛みが目立っていました。

しかし全体は見事な内部の職人の成せる業!
大正時代の貴重な土木遺産です。
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