[HOME]戸石隧道(岩勝隧道)
素掘り

楠窪
ダム工事現場を越え、小さな集落を過ぎると
小川をまたぐコンクリ橋が現れます。

この橋を越えると遂にダート!!
オフロードバイクなら犬は喜び庭駆け回るですが、
オンロードバイクなので転倒しないことを第一目標に。

路面状況は良好なのですが、雨が降った直後で
ヌタヌタになっていてタイヤが盛大に滑りまくりました。

霧降る山に
二輪なのに時々スタックしますが引き返しません。

地図によるとダートを数キロ走れば隧道なので
無理してでも行ってみようと思いました。

走行中にバイクが岩で腹打ちしまくったので、
帰宅後観察するとエキパイが擦り傷だらけに・・・
でもエンジンは無傷。さすが世界のHONDA!(違

西側 坑口
高さ制限標識も心なし傾いてぼこぼこ。

隧道は期待にそぐわぬ生粋の素掘りでした。
この奥にも集落がある、と言うよりあったので
電話線が引かれています。

線は傍らを流れる志河川に張り出した岩の上を一跨ぎ
・・・かと思ったら隧道内を通っていました。

近影
いくつもの小さな滝を見ながら辿り着いた隧道。

山奥に車両が充分通れる隧道を築かせた理由があります。
それは、この先は天ヶ峠という昔からの「炭の道」であり、
別子銅山で使う燃料として大量の木炭を運搬するための
大事な道路だった。という歴史が眠っているからでした。

当時、粗銅1tを作り出すためには、鉱石15t・たきぎ6t・木炭4.8t
が必要であり、その莫大なエネルギーをこの道が支えたのです。

西側を望む
日本有数の銅鉱山であった別子では、精銅の他に、
生活でも膨大な量の燃料を必要としたそうです。

しかし日本は持たざる国。石油資源に依存する訳にもいかず、
木炭によりほとんどの燃料を賄っていました。
こんな山奥にある隧道も別子銅山繁栄の証なのです。

最盛期には、木炭を満載した馬車も通行したそうで、
この隧道の先にある天ヶ峠の路肩には石積み擁壁が
今でも綺麗な姿のまま残されているそうです。

内部
複雑な地層を掘りぬいたと言われるこの隧道、
舗装もされず、竣工当時のままの姿を今に伝えています。

丁寧に刳り貫かれた内部の壁を見ていると、
隧道に対する膨大な作業の量を思って気が遠くなりました。

昭和6年竣工
西暦1931年9月、柳条湖事件(満州事変)が起きた年です。

延長21m、幅員3.2m、高さ3.5m(制限2.0m)。
P1 P2 P3
[編集]
CGI-design