HOME中山川逆調整池堰堤の隧道と中山越(源太櫻)
コンクリ巻+素掘り
源太桜へ 堀割 
隧道から先は、山に慣れた人なら迷わないはず。
分かれ道には案内看板も出ているので道中は省略、
唯一気になった堀割の写真を載せておきます。

この堀割は、金毘羅街道(桜三里街道)の痕跡です。
古い時代の堀割を見ていると感慨深いものがありました。

隧道を出てから源太桜までは徒歩10分ほどです。

源太桜 
東温市指定天然記念物 源太桜説明

旧桜三里街道に残る二本のエドヒガン桜源太桜と呼ばれ、
貞京4年(1678年)田野の代官「矢野五郎衛門源太」が藩命を受け
桧皮峠から金毘羅へ至る三里の区間に8,240本の桜を植えた。

使役の囚人に、深い谷間から狭い急坂で水を担ぎあげさせ、
桜に水をやらせ続けた。喘ぎ喘ぎの重労働を藩の囚人は恨み、
桜三里に源太が仕置き 花は咲くとも実はなるな」と、
怨嗟の唄をうたったと伝わっている。(平家の残党が植えた説も)

この唄より、この地が後に桜三里と呼ばれるようになった。

桜三里の由来 
上記の話は、川内町史とこの看板から頂きました。

矢野五郎衛門源太の人遣いは相当に厳しいもので、
病人をも使役したとか、使役拒否したものは
仕置場にて処刑すると御触れを出していたとも。
桜三里には、藩の仕置場跡が残されているので、
真実味を帯びた重い伝記となっていくのでしょう。
仕置場跡は桜三里休憩所。トイレの裏にある観音様と浄財入れ、
山腹に点在する無縁塔にただならぬ雰囲気が残されています。

もう一つの伝記 
桜三里には、他にも伝記が残されています。
その一つが爲馬菩提地蔵の伝説です。

丁度、源太桜の対岸に地蔵が残されており、
それにも悲しい伝記が残されていたので
残りの項にて紹介したいと思います。

しかし、桜三里にはおどろおどろしい話が多いな…

地蔵への道 
〜〜由来〜〜
昔、馬を数珠繋ぎで追っていた。

一頭が川(中山川)に流されると、
次ぎ次ぎと川に流され死んでしまった。
その後、ここを通ると馬の鈴音が聞こえる。
その為、流された馬の供養を願って建てられたのが
山間に佇んでいる爲馬菩提地蔵と云われている。

爲馬菩提地蔵 
上記由来の地蔵菩薩がこのお地蔵様で、
源太桜を訪問する時に合わせて見られます。

ところで、今回紹介した桜三里に植えられた、
源太桜以外の約8,000本もの桜は現在ありません。
後年、この地で開発された千原鉱山(銅鉱山)による、
銅精錬で発生した煙害で全て枯れてしまいました。
千原鉱山には痕跡があるので、いずれ紹介する予定です。

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