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金・銀・銅・硫化鉄鉱
新宮鉱山 入口 
「愛媛石の会」さんの巡検に、ご一緒させて頂きました。

鉱山へ行くには、県道から集落に向いた小さな橋を渡ります。
その名も金山橋鉱山への道、ゆえに「金山」なのでしょう、
小さな銘板が四隅に残されていました。
このような小さな発見をすると、嬉しくなるのは勿論、
鉱山が生活にとって大事な物であった証拠にもなり、
この地の生活を少しだけ垣間見たような気がしてきます。

ガードレール 
金山橋を越え、集落の間を縫う九十九折りです。
今は、大半が普通の民家になっていますが、
元々この辺りには「黒田社宅」がありました。
新宮鉱山は、小さいながらも堅実な経営で、
標高約350m付近に展開していたそうです。

一見すると普通のガードレールのみのようですが、
その外側にレールで作られた物が残っていました。

鉱山鉄道のレール 
敷地も道も鉱山会社の物だったのでしょう、
トロッコに使われていた古レールを転用し、
ガードレールの代わりにしていました。

古レールのこのような転用はよく見られますが、
民家に近い場所で残っているのは貴重です。
小さな軌道によく使われる6kg/mレールで、
新宮鉱山の手押し軌道の物だと推察されました。

貯鉱庫 
民家が尽きる頃、市道がダートの林道へと変貌、
しばらくすると貯鉱庫が見え始めてきました。

新宮鉱山の最大遺構(300t庫×2基)であり、
隣にシックナー、その上には電気制御室
作業員の休憩室兼作業所が残っています。

現在、吐出口は木材で閉鎖されていました。

鉱山事務所 
貯鉱庫の正面に、大きな建物が残されています。
窓から中を覗いてみると、日新寮と書かれた札を発見!
資料によると、日新寮は寮室4(収容8人)・客室3・管理人室2、
1棟建てで70坪の敷地だと記載されていました。

また、黒板に平成14年11月25日閉鎖という謎の文字も。
(閉山は昭和53年3月。排水処理が平成14年まで続いた?)
寮の隣には各種機材の残る建物が併設されています。

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