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金・銀・銅・硫化鉄鉱
犬釘 
当時のものでしょう、床板に釘が刺さっていました。

他にはコンクリート製の蓋や木材(角材?)が
檜をメインとした雑木林内に幾つか残されています。

しかし、レールは貴重な資材だったからでしょうか?
残念ながら、見つけることはできませんでした。

石垣 
周辺には沢山の石垣が残されていました。
大きな物になると石垣が斜面に三段以上造られ、
社宅や事務所の規模が目に浮かんでくるようです。

この鉱山、生活環境関係の設備はかなり整っていました。
真水はポンプで沢から汲まれて常に貯水されており、
部屋は、なんと1〜2人部屋で風呂付だったと聞き驚きます。
毎日、賄いさんが炊事・洗濯・風呂焚きをしてくれたそうな。

敬天滝 
鉱山事務所の脇には滝が落ちており、
当時は鉱山の滝と呼ばれていたようです。

現在、事務所は石垣だけを残して跡形もなく消失し、
滝だけが轟々と音を立てて流れていました。

また、この周辺まで来ると石垣も数を減らし始め、
滝が主たる鉱山設備や社宅などの終点だったようです。

狭い範囲ではありますが、山の下層には坑夫たちの
住む社宅があり、山の上層には10m近い石垣を詰んで
整地されていた幹部用の社宅がありました。

最下層の石垣 
川沿いに残された石垣。

当時の資料と付き合わせてみると、
川の対岸にあった供給所か一般社宅の
石垣だと思われます。やや造りが荒い?

鉱山の採掘権利登録番号は第59号でした。

一番目立つ枕木 
鉱石の一部は、肥料会社へ販売されたとあり、
硫黄分を含んだ黄銅鉱や含銅硫化鉄鉱から
硫黄を取り出して化学肥料にしていたようです。
残りの銅は、佐賀関精錬所へ売鉱されていました。

伊豫鉱山の閉山後、ここで活躍した坑夫たちは、
高知県にある白滝鉱山へ集団で異動したそうです。

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