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酸化マンガン・二酸化マンガン・炭酸マンガン
パイプの行方 
パイプは所々で土砂に埋まっていたので
追うのには少しだけ苦労しました。

この鉱山の操業時、地元の集落から男は坑夫、
女は背負子として多くの雇用があったそうで、
仕事に困ることは無かったとのことです。

パイプの終点 
どうやらココに坑口があったようです。

完全なる埋没で中を伺うことはできませんが、
パイプを叩いた時に響く空虚な音を聞くと
奥にある程度の空間が残っているようでした。

この場所にだけ石垣が積まれていることから
人為的に坑口が閉鎖されたようです。

坑口 
出鉱量は、昭和23年に鍵山坑の記録した300t/月が
ピークでしたが、昭和34年末には10分の1となる、
30t/月まで急激に産出量が落ちてしまいました。

鉱石の搬出は索道(総延長7km)でホッパーへ、
そこから車で国鉄出目駅か宇和島港に運んでいます。
閉山は昭和40年代頃の模様で、
総採掘量は、全て合わせて9万t以上でした。

もう一つの坑口? 
坑口は、周辺の山を含めて多数開坑されています。
鍵山西古市七中森伏越・古市山・松平・
 境谷・池之駄馬・奥山・大亀etc.. ※順不同)

他にも、掘り進める内に坑道のレベルが下がると、
搬出路としての横坑が開設されていました。
←写真のように林道脇にも埋め戻された坑口らしき
穴が掘られていましたが、全て閉鎖されています。

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