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コンクリ巻+素掘り

地図
いきなりですが、ここは四国一有名な心霊スポットです。

何がそこまで人を恐れさせるのか、
道路サイトの観点で訪問して観察したいと思います。

三木町側 アプローチ道分岐点
峠からは、まだ距離のある位置から派生しています。
写真の位置をため池方向に進むのが旧道。

ため池や畑があるので道幅が広く、
普通車でも問題なく進めました。

しかし、元々は古い峠道なので、
少し山に入れば完全一車線となります。

三木町側 旧道
法面は草刈がされておらず、枝も紛れ込んでいるので
車を傷つけないように慎重に抜けます。

しかし、路面上に落ち葉やゴミが積もっておらず、
普段見ている山間部の旧道や廃道とは違って
最低限の管理はされているようでした。

旧道には、等間隔に道祖神の馬頭観音や地蔵が置いてあり、
それらは一里塚的な機能を持たせているようにも思えます。

三木町側 坑口
心霊系HPでは中村トンネルと紹介されていますが、
台帳上から正式名称は立石隧道です。
馬蹄形のコンクリ坑門を持っており、
印象では大正〜昭和初期の建築と思われました。

隧道の前にある地蔵堂と牛の墓がスポットネタとして有名で、
「祠の扉が開いていたら帰りに事故にあう。」
というのがパターンの一つになっているようです。

そして、私の訪問時には扉が開いていましたが、
車に傷一つ付けることなく帰れました。苦笑。

内部より
乗ってきた車の横に祠が見えます。(祠は今も手入れされています。)

祠の直ぐ脇に「牛の墓」と書かれた有名ネタの石碑がありますが、
これは珍しい物ではなく、牛馬が農耕や運搬に活躍していた時代に
死後、感謝を込めて道端や田の端に作られた塚で、
現在も多数かつ、いろいろな形の物が残っています。
私の家の近所に残っている物は玉石を3段に積んだ物や、
ここと同じく牛の墓と書かれた石碑などがあります。

ちなみに、当時は牛に名を付けなかったので、
○◎の墓ではなく「牛の墓」と書かれるのがほとんどでした。
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