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コンクリ巻+ライナープレート
地図 
現在、松山街道・土佐街道と言えば幹線国道たる
国道33号線を思い浮かべる方が殆どでしょうが、
藩政時代以前から続く本来の松山街道は国道494号線が
最有力候補であることは余り知られていないようです。

レポでは、この道が街道だったことを念頭に起き、
伊予と土佐を結んだ時代の出来事を交えて紹介します。

勿論、R494も車道化に伴った改良が常に行われており、
今回紹介する隧道等、付替え工事も行われているので
完全に藩政時代の街道と言う訳ではありません。念の為。

街道 
どういうわけか、この周辺には面白い地名が
複数残されています。隧道前は「カミコグラ」。
他にも、地図でカタカナや平仮名の地名を探すと
「ヲヲカゲ」「トロメキ」「ナガノヂ」「カラグリ」「ナリヤマ」
「ツボイ」「カゲ」「よらきれ」「うつぎょう」「いしょう舟」
等々、不思議なものが多く見られる地域でした。

独特な文化を持つ地域性が為せるものと思われます。

東側 坑口 
松山街道はこの国道494号線と寄り添うように
通されていたと云われています。又の名を予土往還。

この地域は険阻な山であった故、常に情報に恵まれず
明治時代の物価統制や徴兵制度を正しく把握できずに
膏取騒動と呼ばれる農民一揆が起きたこともあります。
城下から遠く、激動の時代に取り残され、結果だけが
命ぜられる際の民心の動揺は大きかったのでしょう。
土佐藩民が伊予領へ集団脱藩したこともありました。

扁額 その1 
銘板によると延長は323m。S.42年の隧道リストにある
延長176mという数値とは一致していません。
そこで、近年に改修が行われたのかと思って、
H.16年のリストを見たところ、銘板と同じ延長323mでした。

どうやらS.42年の隧道リストの数値は、愛媛県側のみの
延長である176.4mを元に書いてしまった誤記のようです。
高知側は148.4mとの記載・・・あれ?合計に微妙な差異が?
まあ、S.42リストは結構アバウトなので誤差の範囲でしょう。

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