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境目隧道(コンクリ巻)旧道

境目峠
境目と言う地名の由来を調べてみたところ、
旧川之江市に昭和の大合併で吸収された
川滝村の村史「川滝村史」にありました。

それは昭和26年に編集された村史で、
「時代は古く、荘園の境に基づいた地名」
という記述を中に見つけることができます。
「荘園」というものが存在する古い時代から国境であり、
平成という現在でも県境とは因果なもの也。

ちなみに、県境で舗装の状態もクッキリ違っていました。

峠の白看板
私は廃藩置県以後に付いた地名かと思っていたので
浅学を改められると同時に、深い歴史に驚かされました。

峠には石の道しるべ、旧型道路標識(白看板)、
県境を示す石柱、とどめに堀割を支える古い石垣!
しかも、県境で石垣の積み方が変化しています。

あっと言う間に好きな峠の一つになりました。

おにぎり
傍らで国道標識が使命を全うして倒れています。

昭和9年からは、峠を国鉄バス(現JRバス)と瀬戸内バスが
一日(平日)16往復もしており、麓までのバスも数えると
それに倍する本数が峠に関係して運行されていました。

もちろん当時は未舗装路であり、雨が降ってぬかるむと
歩いて直線的に上った方がバスより早かったとか。

愛媛側から道標を
石の道しるべには「徳島県庁まで23里5丁(約91km)」、
併記にて「三好郡役所まで3里35丁(約15.5km)」との記載。

正面には「従是東徳島県三好郡」、
「これより東は徳島県三好郡」とあります。
更に徳島側から見ると「愛媛県川之江是四里七丁」、
「愛媛県川之江まで(約)16.5km」と掘られていました。

そして裏面に、建立は明治34年と刻まれており、
これは訪問した平成18年で建立よりなんと107年!
末永く残されてほしい道しるべだと思います。

峠の石垣
堀割を守る法面には雰囲気満点の石積み。

切込接という石と石の接触面が整形された
乱れ積みに近い積み方がされていました。

この石積みは所々の路床にも用いられており、
明治に行われた改修の際に施工された物のようです。
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