HOME瞽女ヶ峠
瞽女トンネル(コンクリ巻)旧道
旧道の石垣 
藩政時代に造られた往復積みの石垣には負けますが、
瞽女ヶ峠旧道の擁壁にも、間知ブロックではなく
純粋なる石が組み込まれています。(間知積み)

喜々津への分岐点を過ぎれば、峠までほぼ一直線。
実は昔、私がチャリダーだった頃に、この峠を自転車で
越えた経験がありますが、その時は約3時間かかりました。

瞽女ヶ峠 
弱いので、ヘロヘロになって押していた時に、
峠の青い看板が現れたのは本当に嬉しかった。。
愛媛の峠には、稀にこのような看板が設置されており
自転車や歩きの旅人にとっては嬉しい配慮でしょう。

この道が開通したのは昭和15年2月、757,140円の
工事費がかかっており、昭和25年に路線バスが開通、
舗装工事に着手されたのは昭和46年度でした。

峠の遺構 
案内標識の奥に見える二つの頌徳碑は、
佐々木秀次郎 ・二宮萬太郎という人の物で、
道路ではなく造林関係の人物を称えていました。
昭和10年3月の建立、この地域に林業をもたらした
功績により、造林の父と称えられているそうです。

当時の愛媛新聞に、峠の悪路を思わせる記事がありました。

昭和46年4月30日、伊予鉄バスの窃盗事件が発生!
しかし犯人は、この峠で運転を誤って転落したそうです。
落ちた伊予鉄バスは、その場で解体されて引き揚げられ、
犯人だった船員は三週間の怪我付きで御用となったとな。

閑静なる峠 
この後、峠は平家谷という観光地に向かいます。
人気スポットであるがため、こちら側は道が整備され、
峠道は旧道本来の静けさや姿を失っていました。
平家谷は、夏場は流しそうめんや釣堀が楽しめ、
大きな駐車場にはアイスクリン売りの屋台も有ります。

峠へは、保内町側から訪問すれば行程が短く済み、
時間短縮できますが、閑静さは磯崎町側の勝ちでした。

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