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コンクリ巻
高知側 旧路盤 
足もとに何も刻印の無い小さな碍子を発見したり、
信号機の基礎と思える痕跡(窪川側)があったりします。

碍子は複数落ちていたのですが、サイズ的に
電話線か信号機類に用いられたと考えられます。

九朗さん作成の図面、Dの位置から撮影。

高知側 坑口 
坑口のそばに破壊検査の跡があったので、
巻厚が分かるだろうと覗いてみました。

すると・・・なんと!60cm近いコンクリ厚!
隧道が奇麗に残っているはずです。国鉄スゲー。

ちなみに、欠陥工事である旧国道大森隧道では、
コンクリ巻厚は7cmしかありませんでした。

水路 
路盤の脇には幾何学的な形をした水路もありました。
ややこしい谷間の水をかき集める為の努力!設計士さん乙。

この笹場信号所の完成は昭和21年なのですが、
わずか1年10ヵ月しか供用されなかったそうです。
※昭和21年(1947)10月―昭和23年(1949)8月

同じ土讃線にあったスイッチバック信号場の
「新改」は昭和22年6月、「坪尻」は昭和25年1月、
「多ノ郷」は昭和22年7月に駅へと、それぞれ
昇格した動きに対して真逆の結果となりました。

終点 
突き当りに車止が残されていました。

トンネルなどが2年以下で廃止されたとは勿体ない…
分かっている内では、四国で最も短命の線路です。

窪川側を望む 
今回は実りある合同探索となりました。

余り知られないこの「幻の笹場信号場」のように、
四国にもまだまだ隠された廃隧道があるはず。

今後も地道に情報を集め続けたいと思います。

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