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予讃線の未開通隧道 埋没

脇道
ちなみに、この辺りの予讃線が開通したのは1927年(昭和2年)で
当時は、予讃線ではなく讃予線と呼ばれていました。
仮に北条BP工事で埋まったとして、BPが開通したのは2002年
(平成14年)だから、その間70年近くは露出していた可能性も。

初めは、現地で埋没という現実を受け止めることができず、
脇にある微妙な杣道にも進入してみました。

客観的に見れば怪しい人間だったのでしょうが、
探索中は懸命なのでそんなことに構っていられません。

杣道の先は・・・
幸乃神社という小さな神社がありました。
この神社には紀貫之の詠んだ句碑があります。歌は↓
「ゆく希ふも可へらん時も玉ぼ古乃悲支毛の神にいのれとぞ思ふ」
(ゆくきょうもかえらん時もたまぼこの悲しきもの神に祈れとぞ思う)

紀貫之といえば、平安時代前期の随筆家で「土佐日記」が有名です。
貫之は、男性なのに平仮名で歌を詠む(女性を装った)という、当時は
珍しい技法を用い、西暦930年に土佐守(高知県知事)に就任しました。
その高知に関係ある人物の句碑が、愛媛のここにある理由ですが、
愛媛には紀貫之の墓と伝わる墓碑があり、更に息子や親戚の墓と
伝わっている墓碑もあることから、愛媛にも縁が深いからのようです。

神社の横
幸乃神社脇の山の斜面も探ってみましたが、
犬のミイラがあっただけで隧道はありませんでした。

順序が逆になりますが、やはり先ほどの埋立地の
土砂の下に隧道が眠っていると考えられます。

ところで、
どうでもいいことかもしれませんが、
この神社には県道からお参りしようとしても
予讃線があるために道がありません。

私がたどってきた杣道も、昨今の台風による影響か、
土砂崩落&倒木だらけで現実的に厳しそうです。

道の上からできるだけ倒木を除去して帰りました。

線路の線形
鉄道のカーブから想像してみても、
始めに紹介した埋立地が一番怪しそうでした。

この写真の上のほうに写っているのが
北条BPに貫かれている粟井坂トンネルです。
(延長は435m、平成14年4月13日に開通。)
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