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慰霊碑と航空機部品

九軍神の碑
しかし、甲標的部隊は全て未帰還となり、
座礁して生還した捕虜1名を除き9名が戦死しました。

その戦死した9名は軍神として祀られ、
須賀公園内に忠魂碑が建立されています。
(※昭和41年8月吉日建立。内閣総理大臣 佐藤栄作 筆)

岩佐直治中佐・横山正治少佐・吉野繁実少佐・広尾章大尉・
横山薫範少尉・佐々木直吉少尉・片山義雄兵曹長・
上田定兵曹長・板垣清兵総長
。 以上9名と全戦没者に合掌。

慰霊のモニュメント
このモニュメントには、9柱の御魂に敬意を表して
9本の柱が立てられているそうです。

碑文
噫殉国忠勇平和礎石の九軍神、昭和16年12月8日未明
大東亜戦争の先陣としてハワイ真珠湾攻撃に挺身決死隊第一号
面目躍如如輝く戦果を挙げ、また能く我が空軍爆的の烽火となり
海空呼応壮絶無比一大緒戦を展開、自らは従容愛艇と運命を与にし
壮烈湾深き所浪の華と散り行きし九軍神。

真珠湾で大破した甲標的
三机湾は当時日本の真珠湾として、諸勇士の特殊潜航艇が
一心同体生死諦観決死の猛訓練基地となり
海軍を泣かしめる門外不出の秘境であった。

昭和17年3月、九軍神の勲功氏名の発表せらるるや
沈黙果敢天晴れの最期に驚嘆し三机の人々は感泣した。

当時若桜の九軍神、マダガスカル・シドニー等で散華した
諸勇士が三机に遺した逸話美談は一斉に花と咲いた。

日本軍機が撮影した真珠湾攻撃
歌書よりも軍書に悲し三机湾も 今や戦争の真珠湾から
平和の真珠湾に衣更え 日米を真珠で結ぶ山紫水明の
平和境となり観光客も次第にその数を増しつつある。

九軍神は戦争の犠牲となりまた平和の礎石ともなる。
戦争放棄平和憲法治下国土平安の福祉国家として
新生日本は逞しく前進する。嗚呼芳しきかな護国の英霊、
瀬戸町有志は広く浄財を募って軍神由緒の地に慰霊碑を建立し
その功績を敬仰する。九軍神の英霊永久に瞑せられよ。
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