HOME大日本帝国海軍 局地戦闘機 紫電改
米軍コードネーム:ジョージ(George)
主脚と20mm機銃 
強力な破壊力を誇る20mm機関砲を紫電改は4門装備。
米軍機は、主に12.7mm機銃を装備していたので
破壊力では遥かに日本軍が上回っていました。
ちなみに、米軍の12.7mm弾は小ささにより炸裂弾頭を
採用していませんが、日軍の20mmは炸裂弾頭です。
ただし、命中率、速射性能、携行弾数においては
大柄な弾丸を使用することの不利益もありました。

使用する弾丸にも互いの戦術思想の違いが現れており、
資源を有する米軍は弾を大量にバラ撒くことを考え、
日軍は大型爆撃機を破壊する為に、一撃を重視した
戦闘を考慮したことから、どちらも正解と言えます。

タイヤ周り 
当時の日本は戦時下ゆえ極端に物資が不足しており、
米軍機が標準で装備していたディスクブレーキなどの
基本構造的な装置ですら装備できていませんでした。

タイヤも溝のない簡素なゴム製品という感じです。
もちろん、米軍は溝付きのラジアルタイヤを装備しました。

エンジン 
「誉」という2千馬力級エンジンを装備しています。

米軍機と同じレベルの大出力を得ることができるのに、
直径が小さく重量も軽いという素晴らしいエンジンでした。

しかし、戦争後半の資材不足と燃料の質低下により
前線で真の実力を発揮することは難しかったようです。

おまけ 
紫電改保存館にはもう一つの目玉があります。
それがこの天山という艦上攻撃機のプロペラで、
昭和53年2月に西宇和郡三崎町(現伊方町)の
二名津沖海底で発見され引き揚げられました。

「天山12型」は戦争後半の海軍主力攻撃機で、
ブーゲンビル島海戦やマリアナ沖海戦で有名です。
1,268機生産され、各地の戦線で奮戦しました。

平和を祈願 
紫電改は川西制作所という会社が作った
水上戦闘機「強風」を陸上機化した紫電11型を
更に改良したもので、415機が生産されました。
中には特攻作戦に従事した機体もあり、
戦争後期の悲惨な状況の中で奮戦したそうです。

本物の持つ迫力と平和へのメッセージを感じました。
ぜひとも、沢山の人に見てもらいたい戦争遺跡です。

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