明賀鉱山巡検報告

 

 2010年4月24日、愛媛石の会の巡検で西条市丹原町「明河」にある「明賀鉱山」を案内させて頂いた。当日は好天に恵まれ、参加者も多数!実は案内側として、この大人数に少々緊張した。結果として、迷うことも無く現地まで案内できた自分の運に感謝である。

地 図

 明賀鉱山は、大正期に本格的な稼行に乗り出したものの、当初は探鉱と休山を繰り返して安定しなかったという。安定した経営が行われるようになったのは、銅・硫化鉄鉱山として愛媛県採登204号(昭和31年11月登記)を取得し、坪内寿夫が経営者となった昭和32年2月以降である。経営者の坪内は、経営難の企業や会社を幾つも再生させた実績を持ち、来島ドック(造船)や奥道後の開発(観光)、果ては日刊新愛媛(報道)などの経営もこなしたという、相当優秀な実業家であった。

見学したのは、旧坑と呼ばれるエリアであり、複数の坑口とズリが遺されている。大正時代に開発されていた物を、坪内らの手により近代的な経営へ合うよう改良された場所である。元々、鉱量的に期待できないと言われたものの、高品位な銅鉱石が採れるということで小規模な稼行を基本にされたことが幸いし、半日程度でエリア全体を見渡すことが出来た。

火薬庫(岩盤の前に石積みを築いている)

現地で最初に目にするのは火薬庫の跡。その性質ゆえ、石積みの奥には岩盤を削って造られた頑丈な空間が残っていた。続いて、本坑及び1〜4号坑口に隣接する旧坑(1)が現れる。

火薬庫内部(岩盤には鑿の跡が見られる)

旧坑(1)閉鎖されている

旧坑(1)は、閉鎖されて自然に溶け込んでいるので少々発見が難しいが、この旧坑(1)と斜坑で繋がっている旧坑(2)は容易に発見できる。旧坑(2)より山を下って一つ目の谷筋から、山を見上げれば発見しやすいだろう。

旧坑(2)開口している

旧坑(2)は、旧坑(1)と斜坑で繋がっており、高低差がある為か地熱のせいか、坑道を通る空気が強く吹き抜けており、坑口より熱気を伴って噴出していた。この山の北麓には、湯の谷温泉という硫黄泉があり、もしかすると大深度地下にて鉱脈と温泉が接触しているのかも?と、思わせてくれた・・・ロマンがあってよい話である。

さて、ここで思い出さなければならないのが石の会の活動である。当時の遺構を探して、古地図を持って駆け回っているだけでは、こよなく石を愛する皆様に申し訳ない。

ズリ

と言うことで、ズリがある場所へご案内した。笑顔で心おきなく存分に叩いて欲しい。()

ズリは、旧坑(2)より谷を渡ってすぐの場所で、水量豊富な沢を渡ることになる。ズリにはクジャク石や含銅硫化鉄鉱が散見されるものの、古い物のようで風化が激しかった。

旧坑(3)閉鎖されている

このズリ山の上端には、旧坑(3)が閉鎖された状態で残っていた。ここは、昭和32年以降の経営とは関係無く、大正時代に開坑された古い物である。ズリの風化が激しいのは、旧坑(3)より出された、大正時代の石だからであろう。

鉱区内にある児美谷神社

 鉱山のすぐ傍らにある児美谷神社。鉱山との関係を探ろうと思い立ち寄ったが、鉱山関連の絵馬や道具がある様子は見られなかった。

石垣遺構

 山中には、石垣や索道用ワイヤーにドラム缶等が散見される。今回は、私自身も訪ねたことの無い本坑や1〜4号坑周辺に行けなかった。今後も個人的に訪問するので、鉱山事務所や本坑の周辺で新たなズリ等が見つかれば、自身のHP隧道探訪」内で紹介していきたい。