[HOME]江畑トンネル
素掘り

支保杭
壁の所々にが開いていました。

支保杭が施工されていたのでしょうか?
しかし、その欠片が全く見当たらないので、
照明が設置されていた痕跡かもしれません。

このような穴を4箇所見つけることができ、
穴が開いている高さはいずれも目線の高さです。

南側 坑口を望む
そして南側も辛うじて貫通していました。

私たちも無事に通り抜けることができましたが、
隧道にとって、一体何年ぶりの通行となったのでしょう?

昭和7年に二代目隧道が完成していることから、
廃止されて既に73年の月日が経過しています。

南側 坑口
隧道ができる前の峠道、初代隧道、二代目隧道、
堀割となった現在の大規模農道と四代の道が
この江畑地区に造られたことを見届けました。

そして、満濃町広報の「集落探訪」は、
最後が下記のようにくくられています。


思えば昔人の労苦の賜ものが、
三度びの変遷を経て得た偉業といえよう。


南側 旧々道
日の当たるこちら側の植生は凄まじく、
時期を違えば道床も確認できなくなるのでしょう。

崩落した法面の土砂を乗り越え、
迂回路として開削された道へ戻ります。

隧道前 広場
無名のため池がありました。

牛馬の水のみ場か、旅人の憩いの場か、
利用者のいなくなったため池と隧道が並んでいます。

迂回路へは、この池を正面に捉えたら右へ、
開削された時の残土で造られた土手を乗り越えると
コンクリート舗装された場所に出られました。

大開削
迂回路として車を通すために削られた山肌。

仮設だったためか、山肌に覆工された様子が無く、
大きく崩落している場所がいくつもありました。

崩土の積もる足元にはキノコも。
P1 P2 P3 P4
[編集]
CGI-design